1980年代から10年間、Digital Equipment Corporationに勤務した。
その間、AI言語研究所に研究員として出向も。
1990年代後半から19年間、Microsoftに勤務した。 かな漢字変換IMEや自然言語処理の日本でのリード。 IMEのユーザシェアを数十%から80%にあげた。 パソコンがホワイトカラーのツールとして日本にも普及した時期に重なり、 自分たちのチームは、いわば、当時の日本人の情報生産の土管屋・黒子だった。
技術面も、その間、変化した。 ワープロから始まり、伝統的な日本語機械処理の方式が、30年続いていた。 一方、音声認識で統計的言語モデルが成功していた。 かな漢字変換も統計的言語モデル方式に変える際に、 いくつか基本的技術要素を開発し、特許を取得。 自立語Trigram、品詞Bigramへのバックオフ、誤変換フィードバックなど、である。
また、Microsoftには、Think Weekというアイデアコンテストが毎年ある。 そこで「視線+サイレントスピーチ+指コントロール」というアイデアで、 "Natural user interface"と"Envisioning future productivity"という2分野で、 ベストペーパ受賞。
その後、退社し、独立。
現在、若い世代につながるようなインタラクションのネタを残すことをゴールとしている。
以下を出願。
また、若い人に触れるため、 ITカレッジ(岩崎情報科学専門学校)で、8年、 プログラミング等の教科のほか、 IT技術者のためのイノベーションのデザインテクニック、 ディ-プラーニングによる自然言語処理技術を教えた。
日本におけるIT教育は、伝統的な「読み書きそろばん」の延長であり、方法を偏重する。 何やなぜを突き詰める部分、問題解決能力の育成に弱い。 ところが、昨今のAI革命は、読み書きそろばんが真っ先にAIで置き換えられる能力となっている。 日本のIT教育の現状に危惧を持ったので、イノベーションのデザインテクニックの教材を、 『何を作るか』としてまとめた。
また、認知負荷のないユーザーインタラクションのための課題の現実を知り、対策となるインタラクションデザインを実証評価するために、 高齢者たちのためのNPO地域コミュニティハウス(げんきかい)で、IT支援を実施した。 さらに、IT支援ボランティアの延長として、青葉区や地区のコミュニティハウス、センターで講師も。
これまでのコンピュータ・インターフェイスは、目と手指だけを使う。 AI革命で、ITに特有な抽象物が隠れ、やり取りが操作でなく対話型になる、そしてそのうち音声対話の利便性が認知されていく。 そいう方向が現実味を帯びてきた。 ただ、まだ、機械はヒトのアタマとだけやり取りする枠を出ない。 ヒト身体を相手にしていない。 ヒトと機械のインタラクションのあるべき姿を、 『操作から会話へ』に提言としてまとめた。